師匠 木村勝男 会長 SNS 

SNSで。。

師匠 木村会長の幼少の頃からの

生きて来た証を

見つけました。

僕自身

忘れてた部分を

今このタイミングで

思い出させて頂き

やる気に

させて頂けました!!!

以下その文章です。↓ ↓

少し長い文章かも

知れませんが

お付き合いして頂ければ

有難く思います!!

大阪木村塾を主催者の文野さんが下記セミナーをレポート。長文になりますが一読いただけば嬉しいです。

2014.06.24 千里中央倫理法人会ナイトセミナーでの講演記録】

今年に入り3回目になる、大阪の倫理法人会での木村会長の講演。

千里中央倫理法人会でのナイトセミナーは、会場一杯の中でスタート。

会社を経営するのに、経営理念がある。
経営理念の前に人生理念がある。」と言う言葉から始まりました。

木村会長の人生理念。
・生涯、チャレンジャー。
・生涯、勉強。
・生涯、現役。
・生涯、青春。

14歳で父親を亡くし、社会に出てチャレンジャーの人生を歩み、今も歩み続けられている人生のお話です。

成功と失敗は同じライン上にある。
失敗を重ねて成功があり、その後失敗もある。
成功の反対は失敗でなく、チャレンジしないこと。
失敗せずして成功した人はいない。

しかし、世の中の人は、失敗を恐れてチャレンジしない。

木村会長のご両親が、メシを食う為に韓国から日本に渡り、メシを食う為に、ドブロクを売ったり、養豚、廃品回収をして生活をしていたこと。

メシが食えないのは、今晩食べる物がない、すなわち、死を意味する。

今、恵まれた日本では想像できない壮絶な話です。

その後、メシを食う為に単身、小さな風呂敷ひとつ、島根から大阪へ汽車で12時間かけ出て来られます。
情報の無い時代、今でいうアフリカに行く感覚だそうです。

大阪に着くと直ぐに飯場に入ります。

※飯場とは、土木工事や建設現場の作業員用の給食、宿泊施設。

早く家族の元にお金を送りたい一心で、正月も働いたそうです。

母親と兄弟が大阪にあがって来ると、バラックを借り、飯場を始めました。その時18歳、木村会長の起業家の人生が始まります。

その後、多くがやっている人夫出し飯場でなく、人夫を借りて現場を請け負う仕事を始めます。

その頃、この千里ニュータウンには、工事の仕事で現場をたくさん持っていて、懐かしい地だと語ります。

ガスの配管の仕事を請け負う仕事を始めると、資材置き場として土地が必要となります。

1000坪の土地を買うにあたって資金調達の壁が出てきます。

小さなお金を借りたり返したり、勉強したことをメモにして資料をため、銀行に信用を築かれました。そして、資金

調達したのが、今のお金で5億円。木村会長は当時20代。

当時の同業者は、親会社の指定したところに行くやり方がほとんどで、事務所を構えない。

木村会長は敷地を持ち、すべてを自分で行いました。

会社としての自立と、仕事に対して自分で意思決定が出来るとの考えからでした。

日本経済がどんどん成長していくと、暮らしが豊かになり、個人の家が大きくなっていきました。

すると土地の値があがって行くようになりました。

坪5万円が10万円になり、15万円になっていく。

5000万円の土地が2倍になり、3倍になっていく。

1985.9.1 プラザ合意後、1ドル240円

が120円、80円と、円が2倍3倍とあがっていきました。

ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われ、もうアメリカから学ぶことは無いと浮かれた時代です。

政府の金融緩和政策で、だぶついたお金が不動産と株に流れ込んでいきました。

土地、株の値がどんどん上がり、含み資産が膨れあがりました。この含み資産経営を日本式経営と呼ばれていました。
銀行も率先して進めていき、担保さえあれば、資金用途は問われずに融資が受けれました。

この間にも、木村会長はたくさんの事業にチャレンジしました。

空室だらけのアパートをリフォームして満室にして売る(利回りをあげる)事業、喫茶店経営、パチンコ経営、

麻雀店、ゲームセンター、建て売り業など、数々の事業にチャレンジしました。

好奇心の強さと、人がやっていたら自分も出来ると思う木村会長。

うまくいかなかった事業もたくさんあったし、経験があったからやった事業は無いと話されます。

「やってみなわからへん!」

いくつも同時進行し、収入源を増やしていきます。

不動産業に進出。

土地を買い、設計開発、建築、販売という、土地開発事業を手掛ける。

土地購入から販売まで、2,3年かかるうちに、土地の値があがっていく。

1985年、大阪御堂筋のメインストリートの土地が1坪1千万円、5年後には周辺も1億円下る土地はなかったそうです。

過熱した不動産価格の上昇を押さえる為に政府がとった政策、「総量規制」でバブル崩壊。

急激に土地の値が下がり、含み資産が一気に莫大な負債に、奈落の底に叩きつけられました。

木村会長の人生は、変化に対応してきた人生でした。

2m、3mの壁を乗り越えてきたが、バブル崩壊で現れた230mの壁。

さすがに、もうダメだと思われました。

しかし、言葉も分からず韓国から渡ってきて、とんでもない苦労をした両親の事を考え、

230mの壁を乗り越える決心をします。

その時50歳、乗り越えるのに20年はかかると思い、体力と、折れない精神力を鍛えるため場を

山登りに求めました。そして週に一度山登りをする1000回登山にチャレンジします。

結果的には、20年はかからず、10数年で解決されました。

しかし、その10年以上 折れずに立ち向かう精神力は凄いです。

木村会長は言われます。

「皆さんは、常識に呪縛されている!」

「人様に迷惑をかけるなよ。」と誰もが言われている常識が、極端にリスクを怖がる。

その呪縛を外さなければ、皆さんは、チャレンジャーになれない。

木村会長がされた数々の事業の中で、売った事業も含め20年以上続いている事業があります。

ガス30年、パチンコ30年、不動産30年、海外投資20年、資産運用20年。

何故これらができたのか?

それは、30以上の業種にチャレンジしてきた結果である。

『失敗も成功も同じライン上にある。』

起業家とは、

一、カタチを変えれる人。

一、メシのタネを創れる人。

カタチを変えるというのは、

・根本的に自分の生き方を変えることができるか。

・根本的に自分の会社のやり方を変えることができるか。

・今をリセットするぐらい出来るか。

日本は過去に変化をしてきました。

明治維新。

坂本龍馬、西郷隆盛達は、命を賭けて日本のカタチを変えた人です。彼らは起業家なんです。

第二次世界大戦の後。

終戦後、廃墟になった日本に現れた松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫。

彼らもメシのタネを創ってきた人、彼らも起業家なんです。

今、この時代。

日本は起業家の出現を待っているんです。

日本は今日まで、モノづくりで豊かになってきた。

海外に行くと、日本に対しての信頼は普通じゃない事を感じる。神ががっている。

それだけ日本の技術は素晴らしい。

しかし、それだけでこれからの日本を支えていけるだろうか?

これからは、モノづくりの他にサービス産業と、両方の柱が必要です。

今、産業革命より大きな情報革命が起こっている。

例えば、バングラデシュの大昔の日本の様な普通の民家。

電気が無い、家財道具も無い、しかしスマートフォンを持っている。それは、世界中の情報が入るということ。

大きな変化の中、起業家はその変化をチャンスと捉える。

その反対に変化に怯える人がいる。

変化に怯える人は、ゆでガエルといい、ぬるま湯につかりながら死んでいく。

ゆでガエルの特徴は、言い訳がうまい。

経験が無い、金が無い、年が若い、年がいっている等。

日本は、人、モノ、金、情報、市場(マーケット)が揃っている恵まれた国。

「人」 日本は真面目。そして誰も親方になりたがらない。

「モノ」 日本はモノが溢れかえっている。土地も余っている。

「金」 お金の行き場がなくてだぶついている。日本は世界中で現金がたくさんある国。

お金が無いと言うのは言い訳。お金を調達する力が無いだけ。

「情報」 皆さんが知っている通り、自由。

「市場」 経済は世界で3番目になったが、面積あたりではアメリカ、中国に負けず、世界一。

起業家とは、「どうしたら出来るか、どうしたら出来るか、どうしたら出来るか」を、絶えず考えている。

怯える人は、やれない言い訳を考える。

木村会長の熱いメッセージ。

『皆さんは、言い訳の専門家になってはいけない!それは、卑怯な生き方です。

誰に?

それは、自分に対してです。

自分にチャンスを与えなさい!』

今回、木村会長のお話を初めて聴かれた方が多いセミナーでした。

皆さん、心に深く響かれた様子で、熱気覚めやらぬに閉会となりました。

木村会長、ありがとうございました。

(SNSより参照)

長い文章にお付き合い頂き

誠に有難う御座いました!!

僕が人生で初めて

サラリーマンとして

働かせて頂いた会社の

経営者が

木村会長でした!!

読んで頂けたら

分かるかと思いますが

僕自身

木村会長との出会いで

人生は大きく変わりました。

あの時

周囲から

色々言われたけれど

僕自身が

大きな一歩を踏み出して

就職活動をして

こんなに凄い

ご縁を頂けた事が

今でも信じられません。

僕自身。。

そんな大きな

大きな力を頂けたのにも

関わらず

ここ数年は

攻めのスタイルで

経営をして来て

コロナという

難局に出会いました!!

昨年は

色々考えたけど。。

やはり

応援して下さる方が居られる事を

思い出すと・・・

まだまだやるべき事とと

木村会長との約束もある。

その約束を

守る=やり遂げる。

という事を

再度気持ちを引き締めて

前に突き進んで行こうと

思います!!!

師匠 木村会長が

今のこの難局の時代に

居られたら

「茂山!!!大・大・大・大チャンスが到来やぞ!!」

「結果を出してみぃ!!!」

「結果を出して報告に来いよ」

と言われたと思います(^^)/

今までも

会長とは

数多くの約束事をして来ました!!

今回の

約束事も

茂山はやります☆彡

やらなあかんのです!!!

その先に

色々な人達の

期待があるから!!!

僕はそんな星の下で生まれて来たのかも

知れませんね(笑)

今まで

無いから

あるようにして来た!!

今回の世の中の情勢が

大きく変わろうとしているなかで

今こそ

腹を決め!!!

大きな船出を出すつもりで

出陣したいと

思います!!!

やるしかない(^^)/

いや

出来るよ!!!

今までも

色々な事に

力を入れて来て

やって来ましたしね(笑)

2021年の

夏は

今まで以上に熱い!!!

夏になりそうです(^^)/

休んでいる暇は無いですね(笑)